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浅田真央をメダリストまで育て上げた母の素顔とは?


今や、数々の大会でメダルを獲得し、すっかり日本フィギュアスケートの顔となった浅田真央さん。そんな彼女のスケーター人生を作りあげ、支えたのが母の匡子さんでした。匡子さんは、残念ながら2011年12月9日に逝去されています。天才スケーターを育て上げた、彼女の素顔に迫りたいと思います。

 

母親の職業は?

母親の職業は、元水商売をされていたと言われています。はっきりしない部分は、真央さんがスケーターとして活躍され始めた頃には、すでに専業主婦をされていたからです。何でもそうですが、特にスケートというのはお金のかかるもので、浅田家では真央さんの他にお姉さんの舞さんもスケートを習っています。また、その他にも姉妹はバレエなどの習い事をたしなんでいました。

とでもではありませんが、普通のサラリーマンの収入ではまかなうことができません。ちなみに、父親は実業家とのことですから、お仕事柄母親と出会う機会があったのかもしれませんね。

 

母親の死因は肝硬変?

匡子さんの享年は48歳という若さでした。死因は肝硬変です。匡子さんは20年以上前から肝硬変を患っていたそうですが、亡くなる年には薬でごまかせるような状態ではなかったといいます。

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顔が土気色になっていて、黄疸のようになっていたと近所の人は話していたようでした。長女である舞さんが肝臓移植に適合していたのですが、匡子さんは直前になって手術を拒否します。結局、父親の肝臓を移植することになりますが、これには相当の危険が伴いました。術後の匡子さんの経過は思わしくなく、拒否反応が強くあらわれたのです。

 

真央さんへのスケート教育

真央さんは、3歳の頃からスケートの他にも9つの習いごとをしていました。小学校の頃になると、スケートに焦点があてられ、大会などで出席日数が少なくなり、学校に呼び出されることもあったそうです。そんなとき、匡子さんは「娘の人生がかかってるんです」と頭を下げていました。さらに、「3回転ジャンプが飛べないと、今日はご飯抜きだからね!」とスパルタ式の教育で真央さんを訓練していたということです。

匡子さんのエピソードでもっとも驚くべきことは、バンクーバオリンピックで真央さんが師弟関係にあったタラソワコーチと関係が破たんしたときです。「もう日本人は二度と指導しない!」と激怒したタラソワコーチに対し、匡子さんは自らロシアに飛び、直接交渉を試みました。大の日本人嫌いだったタラソワコーチを振り向かせた手腕は、IOC関係者をも驚かせました。

真央さんの活躍に、ここまで尽力された匡子さん。真央さんの今後の活躍も、きっと天国で見守っていらっしゃるでしょう!

 

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